『合 わ せ 鏡』 第八章
『合 わ せ 鏡』
FC2 Blog Ranking
(八)
一週間後、早紀は院長室のソファに緊張した面持ちで座っていた。
殺風景な医局と違い、重厚な執務机と豪華な応接セットが、無言のうちに院長の権威を感じさせる。
約束の時間を五分ほど過ぎた頃、扉が開いて白衣姿の野崎が現れた。
「東海薬品さんだっけ、待たせてごめん」
直立不動の姿勢で事故紹介を済ませた早紀に、野崎は笑いながら着座するよう命じた。
「そんなに固くならないで。別に君を捕って食おうとしているわけじゃないんだから」
「でも、お忙しいところをお会いいただいて、本当に恐縮です…」
「いや、院長なんて閑職だよ。こんなに綺麗なMRさんなら、いつでも院長室へ遊びに来てもらって結構だよ」
野崎は相好を崩してソファに座った。
明治時代の軍人のような厳つい髭をつけた野崎だが、外見と違った気さくな態度に、早紀は少し安堵を覚えた。
しばらく世間話をした後、早紀は鞄を開けてノート・パソコンを取り出した。
「最近のMRはパソコンを使うのか」
「はい、秘密兵器です。私ごときが先生に高血圧治療を説明致しましても、釈迦に説法で怒られます。そこでDVDを使って、アドミットの特徴を紹介させて戴きます」
早紀は野崎の横に席を移すと、テーブルにパソコンを置き、DVDを起動させた。
画面に鮮やかな宣伝映像が浮かび、開発に携わった高名な医師がアダミットの薬理効果について説明を始めた。
野崎は興味深そうに画面を見入っている。
「ほう。T大学の川田教授が出ている。これは面白いね」
上機嫌な野崎の反応に早紀はほっとした。
アダミット処方増に、僅かだが曙光が見えたような気がした。
だが、ふと早紀が気を弛めた瞬間、太腿の野崎の毛むくじゃらな手が伸びてきた。
「あっ」
早紀はぎゅっと両脚を強張らせた。
そして掌を避けようと少し野崎から遠ざかった。
「アダミットはなかなかいい薬だね」
野崎は早紀の困惑をよそに、画面を見ながら平然と言った。
だがその掌は短いタイトスカートの中へと、強引に滑り込もうとしている。
早紀は両手を太腿の上に置き、野崎の侵入を抑えるのが必死だった。
「せ、先生…」
とうとう早紀は泣きそうな声をあげた。
「ああ、済まん、済まん。つい君のような美しい女性が隣に座ると、この手が勝手に動き出してしまってね」
野崎は早紀の太腿を這っていた左手を、右手でピシッと叩いて大声で笑った。
普段なら無礼な行為に断固たる態度をとる早紀だが、その権威ある髭とおどけた仕草のアンバランスに、思わずつられて笑ってしまった。
DVDを見終った野崎は、どっかりとソファに体を沈めた。
「アダミットの良さはわかったが、今使っている薬を切り替えるほどとは思えんな」
「そこを先生のお力で…」
沈黙が生じた。
野崎は髭と釣り合いの取れた厳しい眼差しに戻った。
「薬の力ではなく、私の力を頼るのであれば、それなりの代償が必要になる。その覚悟はできているのかな?」
「……」
「今すぐ結論を出せとは言わない。来週金沢で開催される学会で、私は講演をすることになっている。 もし君が、本気でアダミットを処方して欲しいのなら、一緒についてきたまえ」
野崎はそう告げると、二度軽く早紀の肩を叩いた。
頭を下げて廊下に出た早紀は、何故か激しく鼓動が高鳴り、しばらくその場を動けずにいた。
つづく…
皆様から頂く
が小説を書く原動力です
「黄昏時、西の紅色空に浮かぶ三日月」に戻る
FC2 Blog Ranking
(八)
一週間後、早紀は院長室のソファに緊張した面持ちで座っていた。
殺風景な医局と違い、重厚な執務机と豪華な応接セットが、無言のうちに院長の権威を感じさせる。
約束の時間を五分ほど過ぎた頃、扉が開いて白衣姿の野崎が現れた。
「東海薬品さんだっけ、待たせてごめん」
直立不動の姿勢で事故紹介を済ませた早紀に、野崎は笑いながら着座するよう命じた。
「そんなに固くならないで。別に君を捕って食おうとしているわけじゃないんだから」
「でも、お忙しいところをお会いいただいて、本当に恐縮です…」
「いや、院長なんて閑職だよ。こんなに綺麗なMRさんなら、いつでも院長室へ遊びに来てもらって結構だよ」
野崎は相好を崩してソファに座った。
明治時代の軍人のような厳つい髭をつけた野崎だが、外見と違った気さくな態度に、早紀は少し安堵を覚えた。
しばらく世間話をした後、早紀は鞄を開けてノート・パソコンを取り出した。
「最近のMRはパソコンを使うのか」
「はい、秘密兵器です。私ごときが先生に高血圧治療を説明致しましても、釈迦に説法で怒られます。そこでDVDを使って、アドミットの特徴を紹介させて戴きます」
早紀は野崎の横に席を移すと、テーブルにパソコンを置き、DVDを起動させた。
画面に鮮やかな宣伝映像が浮かび、開発に携わった高名な医師がアダミットの薬理効果について説明を始めた。
野崎は興味深そうに画面を見入っている。
「ほう。T大学の川田教授が出ている。これは面白いね」
上機嫌な野崎の反応に早紀はほっとした。
アダミット処方増に、僅かだが曙光が見えたような気がした。
だが、ふと早紀が気を弛めた瞬間、太腿の野崎の毛むくじゃらな手が伸びてきた。
「あっ」
早紀はぎゅっと両脚を強張らせた。
そして掌を避けようと少し野崎から遠ざかった。
「アダミットはなかなかいい薬だね」
野崎は早紀の困惑をよそに、画面を見ながら平然と言った。
だがその掌は短いタイトスカートの中へと、強引に滑り込もうとしている。
早紀は両手を太腿の上に置き、野崎の侵入を抑えるのが必死だった。
「せ、先生…」
とうとう早紀は泣きそうな声をあげた。
「ああ、済まん、済まん。つい君のような美しい女性が隣に座ると、この手が勝手に動き出してしまってね」
野崎は早紀の太腿を這っていた左手を、右手でピシッと叩いて大声で笑った。
普段なら無礼な行為に断固たる態度をとる早紀だが、その権威ある髭とおどけた仕草のアンバランスに、思わずつられて笑ってしまった。
DVDを見終った野崎は、どっかりとソファに体を沈めた。
「アダミットの良さはわかったが、今使っている薬を切り替えるほどとは思えんな」
「そこを先生のお力で…」
沈黙が生じた。
野崎は髭と釣り合いの取れた厳しい眼差しに戻った。
「薬の力ではなく、私の力を頼るのであれば、それなりの代償が必要になる。その覚悟はできているのかな?」
「……」
「今すぐ結論を出せとは言わない。来週金沢で開催される学会で、私は講演をすることになっている。 もし君が、本気でアダミットを処方して欲しいのなら、一緒についてきたまえ」
野崎はそう告げると、二度軽く早紀の肩を叩いた。
頭を下げて廊下に出た早紀は、何故か激しく鼓動が高鳴り、しばらくその場を動けずにいた。
つづく…






「黄昏時、西の紅色空に浮かぶ三日月」に戻る
- 関連記事