『捨 て 犬』 第一章
「強い男に抱かれたい…」 弾む息の合間、
英子は伏し目がちにそう呟いた
梅原は初めて英子から女の匂いを嗅ぎとり…
『捨 て 犬』
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(一)
午前十時半。
千葉県北部にある都心のベッドタウン。
朝の通勤客を慌しく送り出した街は、がらんとして、廃墟のような静けさに包まれていた。
昼になれば、格安ランチを漁る主婦連中で賑わうのだろうが、今は駅前の繁華街も人通りがなく閑散としている。
梅原康彦は、芳しいコーヒーの香り溢れる喫茶店で、ぼんやりと窓の外を眺めている。
「お待ちどうさま」
ママが熱いブレンドをテーブルに置いた。
「ありがとう。今日も寒いね、ママ」
「天気予報だとお昼から雪みたいよ」
水商売上がりで、まだ夜の色香が抜けきらないママは、四十路女のよく熟れた尻を、ぷりぷりと振って厨房へ戻って行った。
梅原はその後ろ姿を覗き見ながら、熱いコーヒーを静かにすすった。
新東京薬品という業界中堅の製薬会社に籍を置く梅原は、その千葉支店の営業課長として、ここ、常磐線沿線の病院と開業医を担当していた。
製薬会社は営業社員のことをMR(医薬情報担当者)と呼ぶ。
一般には馴染みの薄い特殊な職業だ。
人の生命に関わる医薬品を販売するには、医師への正確な薬剤情報の伝達が欠かせない。
そのため薬学は勿論、医学についても、医師と同等レベルの知識がMRには要求される。
現在ではMR資格試験に合格した者でなければ、医療機関で営業活動ができない決まりになっている。
木枯しとともに、スーツ姿の若い男三人が喫茶店に入ってきた。
「おはようございます」
彼らは梅原に挨拶すると、カウンター席について雑談を始めた。
他社のMRだった。
同じエリアを担当するMR同士は、訪問する病院や開業医の数が限られているので、たいがい顔見知りになっている。
そして医師が患者の診察に忙しい午前中は、訪問できる病院も少なく、溜まり場の喫茶店で情報交換をしながら時間を潰すことが多い。
梅原は彼らの雑談に耳を挟みつつ、鞄から経済新聞を取り出した。
今朝もリストラ記事の見出しが、紙面のあちこちに躍っている。
(日本人は節操がない)
乱暴に紙面を飛ばし読みしながら、梅原はやるせない呟きを繰り返した。
一昔前であれば、従業員の生活を守ることが経営者の務めだった。
ところが今日では、猫も杓子もリストラ、リストラと騒ぐ。
儲かっている会社でも流行に乗り遅れまいと、率先して社員の首を切ろうとする。
(ろくに診察もしないで、風邪薬を出す医者みたいなものだ)
暗鬱とした気分になって新聞を放り出し、梅原は目を瞑ったまま煙草をくわえた。
今年五十歳を迎える梅原に、リストラは対岸の火事では済まされない問題だった。
つづく…
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