『捨 て 犬』 第三章
『捨 て 犬』
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(三)
天気予想は思ったより早く的中した。
喫茶店を出て営業車に乗った途端、猛然と牡丹雪が降り始めた。
視界の悪さから、市内を抜ける幹線道路は、徐々に渋滞の様相を呈してきた。
時計を見ると、十一時四十分になろうとしている。
十二時に一件、重要なアポイントが入っている。いつもなら十分もあれば着く場所である。
信号待ちで焦れながら、梅原は何気なくルームミラーに自分の顔を映してみた。
目立って白髪が増え、皮膚の張りを失った顔には、無数の小皺が刻まれている。
それよりも驚いたのは、顔の表情からすっかり生気が失せてしまっていることだった。
肉体の衰えを実感するのが厄年にあたる四十代ならば、精神の衰えを実感するのは五十代なのかもしれない。
(もう若くはない…)
梅原は、こつこつと粘り強く医師を口説くのを信条としてきた。
断られても断られても日参し、医師を根負けさせて薬を使ってもらってきた。
しかし最近、その根気が萎えつつあるのを梅原は自覚していた。
重ねて早期退社制度の存在が、会社への忠誠心と仕事への熱意を揺るがせている。
残り十年のサラリーマン人生を、こんな状態でまっとうできるのかと、梅原は内心自信を失っていた。
渋滞する幹線道路を外れて車の少ない道に入ったが、うっすらと雪が積もった路面のせいで、思うようにスピードが出せない。
時計はすでに十一時五十分を回っている。
(間に合わないか…)
梅原は焦った。
―富岡クリニック―
そこは鬼門と恐れられる開業医だった。
院長の富岡英子は、MRの間で『鬼婆』とあだ名されていた。
今朝も喫茶店で、若いMR達が噂するのを梅原は耳にした。
「昨日新製品を紹介していたら、説明が下手だって怒鳴られたよ、あの鬼婆に」
「俺もこの間、販促品のボールペンを渡したら、こんなものをつくる金があるなら、もっといい薬を開発しろって投げ返されたよ」
「最近、ヒステリーが前よりひどくなったんじゃないか?」
「うん、毎日が生理中みたいなものだろ」
「いや、三十八歳でもう更年期障害かもしれないぜ」
彼等は不満をはらすように大笑した。
だがMRにとって、富岡クリニックは避けて通れない重要な得意先だった。
それは開業医でありながら、中小病院に匹敵する患者数を抱えている上、金に糸目をつけず高価な薬剤を使ってくれるからだ。
製薬会社にすればまさに上客中の上客なのだ。
しかも英子は、喘息治療の専門医として県下でも名が通っており、医師人脈からもその存在を無視することはできなかった。
梅原もこの女医を苦手としていた。
医師としては優秀なのかもしれないが、女だてらに傲慢な態度をとるのが気に入らなかった。
しかし自社の喘息治療薬を大量に使ってもらっているため、絶対に機嫌を損ねられないドクターだった。
過去何度か横っ面を張り倒したい衝動にも駆られたが、ベテランMRとしての意地が、辛うじて梅原を我慢させてきた。
つづく…
皆様から頂くが小説を書く原動力です
「黄昏時、西の紅色空に浮かぶ三日月」に戻る
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(三)
天気予想は思ったより早く的中した。
喫茶店を出て営業車に乗った途端、猛然と牡丹雪が降り始めた。
視界の悪さから、市内を抜ける幹線道路は、徐々に渋滞の様相を呈してきた。
時計を見ると、十一時四十分になろうとしている。
十二時に一件、重要なアポイントが入っている。いつもなら十分もあれば着く場所である。
信号待ちで焦れながら、梅原は何気なくルームミラーに自分の顔を映してみた。
目立って白髪が増え、皮膚の張りを失った顔には、無数の小皺が刻まれている。
それよりも驚いたのは、顔の表情からすっかり生気が失せてしまっていることだった。
肉体の衰えを実感するのが厄年にあたる四十代ならば、精神の衰えを実感するのは五十代なのかもしれない。
(もう若くはない…)
梅原は、こつこつと粘り強く医師を口説くのを信条としてきた。
断られても断られても日参し、医師を根負けさせて薬を使ってもらってきた。
しかし最近、その根気が萎えつつあるのを梅原は自覚していた。
重ねて早期退社制度の存在が、会社への忠誠心と仕事への熱意を揺るがせている。
残り十年のサラリーマン人生を、こんな状態でまっとうできるのかと、梅原は内心自信を失っていた。
渋滞する幹線道路を外れて車の少ない道に入ったが、うっすらと雪が積もった路面のせいで、思うようにスピードが出せない。
時計はすでに十一時五十分を回っている。
(間に合わないか…)
梅原は焦った。
―富岡クリニック―
そこは鬼門と恐れられる開業医だった。
院長の富岡英子は、MRの間で『鬼婆』とあだ名されていた。
今朝も喫茶店で、若いMR達が噂するのを梅原は耳にした。
「昨日新製品を紹介していたら、説明が下手だって怒鳴られたよ、あの鬼婆に」
「俺もこの間、販促品のボールペンを渡したら、こんなものをつくる金があるなら、もっといい薬を開発しろって投げ返されたよ」
「最近、ヒステリーが前よりひどくなったんじゃないか?」
「うん、毎日が生理中みたいなものだろ」
「いや、三十八歳でもう更年期障害かもしれないぜ」
彼等は不満をはらすように大笑した。
だがMRにとって、富岡クリニックは避けて通れない重要な得意先だった。
それは開業医でありながら、中小病院に匹敵する患者数を抱えている上、金に糸目をつけず高価な薬剤を使ってくれるからだ。
製薬会社にすればまさに上客中の上客なのだ。
しかも英子は、喘息治療の専門医として県下でも名が通っており、医師人脈からもその存在を無視することはできなかった。
梅原もこの女医を苦手としていた。
医師としては優秀なのかもしれないが、女だてらに傲慢な態度をとるのが気に入らなかった。
しかし自社の喘息治療薬を大量に使ってもらっているため、絶対に機嫌を損ねられないドクターだった。
過去何度か横っ面を張り倒したい衝動にも駆られたが、ベテランMRとしての意地が、辛うじて梅原を我慢させてきた。
つづく…
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