「禁断の遺伝子」第七章・・・(紅殻格子)
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『禁断の遺伝子』・・・・紅殻格子
七・
仏壇に額ずくのもほどほどに、
納戸の片づけを始める月絵を周一は目で追った。
そもそもの出会いは、周一が担当する食品卸で、
月絵が事務員をしていた頃に遡る。
当時月絵は、旧家のお嬢様という雰囲気ではなく、
神戸の安アパートで一人暮らしをしていた。
神戸での一人暮らしは短大時代からで、
仕送りはしてもらっていたが、半ば家出同然の状態だったらしい。
結婚式も月絵は両親を呼びたくないと言い張った。
周一が何とか説得して、やっとのことで孝蔵と静子に出席してもらったのだ。
結婚後も関係は改善しなかった。
孫の公一が生まれた時は、さすがに周一が怒って古谷野家へ連れて行った。
だがその後も月絵は、静子が亡くなった時にしか実家へ戻っていない。
理由ははっきり言わないが、周一が見るところでは、
月絵の方が両親を遠ざけているように思えた。
夕方、周一が納戸の整理をしていると土間で声がした。
「ごめんください」
年の頃六十ぐらいだろうか、中肉中背で白髪の老人が、
傘を差して戸の口に立っていた。
バス停から歩いて来たらしく、ジャケットとズボンが雨で濡れている。
「私、孝蔵様にお世話になった者で、鴻巣元治と申します。
一昨日訃報に接しまして、遅蒔きながら、
ご仏前に手を合わせたくお伺いした次第です」
言葉遣いは丁寧だが、
茶色の偏光眼鏡と口髭にどこか怪しい感じが漂っている。
「それは有難うございます」
周一は訝しいと思いながらも鴻巣を仏間へ案内した。
鴻巣は孝蔵の位牌と遺影に長い時間頭を垂れていた。
襖を開けて二階から下りてきた月絵が仏間へ入ってきた。
周一は隣に座った月絵に鴻巣のことを耳打ちした。
「月絵お嬢様とご主人様ですね」
「は、はあ・・そうですが」
鴻巣は畳に額づき、改めて二人に悔み言を述べた。
「私がK町に住んでおりました頃、
町会議員をされていた孝蔵様に面倒を見て頂きまして・・」
檜原集落は、山麓のK町に行政上属しており、
孝蔵は長年その町会議員を務めていた。
どうやら月絵も面識がないらしく、ただ鴻巣の話に頷いているばかりだった。
「実は私、訃報に接してご恩を思い出し、
取る物も取り敢えず大阪から駆けつけて参りました。
お恥ずかしい話ですが、先ほどバスの時刻表を見ましたら、
もうこの時間、最終のバスが出てしまった後でして・・」
鴻巣は申し訳ないように頭を掻いて、今夜一晩泊めてもらいたいと願い出た。
「私共もここには住んでおりませんから、大したお構いはできませんけど・・」
檜原集落に宿屋はなく、老人を雨中に追い返すこともできないので、
月絵は途惑いながらも鴻巣に一夜の宿を貸すことを許した。
鴻巣は周一と月絵に平身低頭した。
だが周一は、茶色の偏光眼鏡の奥で、鴻巣の目が鈍く光るのを見逃さなかった。
春雷が縁側の障子に青光り映した。
しばらくして雷音がドロドロと深山を木霊した。
続く・・・