小説 「夜香木」 第九章・・・
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「夜香木」 紅殻格子
九.
美佐江はほっと安堵したが、少し気が削がれてベッドを下りた。
そして、海に面した窓のカーテンを開いた。
窓の外には、黄泉の国への入り口を思わせる暗黒の海が、ぽっかりと巨大な口を開けていた。
(あら?)
真暗な海の上に、ぽつんと小さな明かりがひとつ浮かんでいた。
(あれは昼間行った岬のあたりだわ。そうよ、温室の明かりに違いないわ・・・あの子が・・・あの子が待っているのよ。夜香木の香りを私に嗅がせたくて、あの子はこんな夜更けまで待っているんだわ)
そう思うと美佐江は居ても立ってもいられなくなった。
美佐江は和夫が相変わらず高鼾で寝ているのを確かめると、手速く着替えを済ませ別荘を出た。
砂浜に足をとられながらも、美佐江は懸命に走った。
少女の頃に戻ったかのように、胸のときめきを抑えながら、脇目もふらず岬の温室を目指した。
(会いたい・・・あの子に会いたい)
暗闇を恐れることもなく、スカートの乱れを気にもとめず、美佐江は少年に会いたい一心で走った。
松林を抜けて、少年の別荘の門前に辿り着く頃には、美佐江は肩で息をしていた。
門は開いていた。
まかり間違えば不法侵入だが、今の美佐江は理性さえ失っていた。
闇に浮かぶ光の多面体の前まで来ると、その美しさにしばし唖然として佇んだ。
「お待ちしていました、奥さん」
温室の扉がゆっくりと開くと、少年が現れた。
温室から漏れる明かりが、後光のように少年を包んでいる。
美佐江は走り続けた疲れと、少年が待っていてくれた嬉しさに、腰が抜けたように座り込んでしまった。
「どうぞお入りください」
少年は大胆にも美佐江の手を取ると、温室の中へ導いた。
熱帯の原色の花の彩りとむせ返るような濃緑の匂い、そして少年の手の温もりが、再び美佐江の体を燃え上がらせる。
「これが夜香木の香りです」
少年は盛んに甘く切ない香りを周囲に漂わせる白い花房を指差した。
「ああ・・・」
美佐江は喘いだ。
「奥さん・・・まさかひとりで来ていただけるなんて・・・」
額に垂れた前髪の間から覘く柳眉と切れ長の瞳に、美佐江は軽い目眩を覚え、ふらっと少年の腕の中に凭れた。
つづく・・・