小説 「夜香木」 第二章・・・
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「夜香木」 紅殻格子
二・
和夫は苦笑した。
そう言うと彼自身、会社人生が行き詰まると、すぐに新しい道を模索し始めた。
しかし、ゴルフ以外無趣味な和夫にとって、三十年間心血を注いだ会社に勝るものは、容易に見つからなかった。
そこで会社を離れたゆとりのある環境に身を置けば、何かやりたいことが生まれてくるだろうと考えた。そして僅かな貯えを頭金にして、風光明媚なこの海辺の地に、中古の別荘を購入したのであった。
(もう何もあくせく働く必要もない。これからの人生を、海を見ながらゆっくりと考えればいいんだ。妻と残された老後を、静かに送ることができれば・・・)
和夫は背後に人の気配を感じた。
「あなた」
振り向くと、春らしい白いブラウスに身を包んだ妻の美佐江が立っていた。
「来たのか」
「ええ、いいお天気だから」
美佐江は大きく手を広げ、海に向かって深呼吸をした。
ウエーブのかかった黒い髪が、潮風にふわりと靡いた。
若い頃から童顔だったせいか、今年四十二の齢を数えるが、
どう見ても三十半ばにしか見えない。
「あら? あれは何かしら?」
美佐江は眩しそうに左手で庇をつくると、右手の岬の突端を指差した。
そこにはこんもりとした木々の中に、春の陽射しを受けてキラキラ輝く建物があった。
「眩しくてよくわからないが、建物全体がガラス張りみたいだな。きっと温室か何かじゃないかな」
「ねぇ、天気もいいし、あそこまで散歩してみない?」
和夫は頷いた。
一週間の休暇届けを会社に出していたが、特別予定も入れず、美佐江と別荘でのんびりと過ごすつもりであった。
緩やかな弧を描く白い砂浜は、岬に近づくにつれて、複雑な造形をした岩が現れ始め、磯部の光景に変っていく。
(こうして美佐江と散歩をするなんて、結婚以来始めてじゃないだろうか・・・)
つづく・・・