『妻の娼婦像』 第九章
『妻の娼婦像』
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(九)
晶子のパート勤めが始まった。
仕事先は近所に住む画家、高松省三の家だった。
高松省三とは敬一も何度か道で擦れ違ったことがある。
長髪を後ろに束ねて口髭を蓄えているが、背が低い上に腹が出ているので、とても芸術家には見えなかった。
また脂ぎった赤ら顏には、六十歳近いとは思えない精力的な雰囲気が漂っていた。
美術に疎い敬一は知らなかったが、晶子に聞いた話では、個展を中心に活躍している有名な洋画家らしい。
その言葉通り、敬一が目にした高松の家は、周囲の建売りの家とは明らかに違っていた。
住宅地から少し離れた広い敷地に、アトリエと住宅を兼ねた立派な洋館が、深い竹林に囲まれてひっそりと建っていた。
いくら便の悪い郊外とはいえ、相当な資産がなければあれだけの住宅は買えないだろうと敬一は羨んだ。
高松はその邸宅で、近所の主婦や子供を集めて絵を教えていた。
晶子のその教室の生徒の一人である。
晶子の話では、金儲けのために教室を開いているのではなく、孤独な作業の多い画家の気晴らしだという。
若い頃連れ合いを亡くし、後添いを貰わなかった寂しさの慰めでもあるらしい。
晶子は仕事の内容をこう語っていた。
「高松先生にあなたのリストラを話したら、助手をしてくれないかって誘われたのよ」
「画家の助手って?」
「高松先生は一人暮らしでしょ。今までは他人に任せられなくて、ご自分でいろいろやってらっしゃたそうなんだけど、歳を取るにつれて、炊事とか洗濯が辛くなってきたんですって。だから身の回りの世話をしてくれる人を探されていたの」
「住み込みか?」
「まさか。午前中と夕方だけのパートよ。これなら翔太にも寂しい思いをさせないでしょう?」
敬一は頷いた。
画家の助手と言われて驚いたが、実際は家政婦のようなものだろう。
近所での仕事なら自由がきくし、晶子にも勤まりそうだと思った。
「いいんじゃないかな」
「いいも悪いもないでしょう?あなたがしっかりしないから、私が働かなくてはならないのよ。本当に無責任な人ね」
晶子のキツイ言葉遣いが、再び敬一を不安にした。
今まで美貌を生かしたコンパニオンのアルバイトしか経験のない晶子が、地道なパートを続けることができるのだろうか。
晶子は敬一が口にしたそんな心配を、「先生は優しいから大丈夫」と意にも介さなかった。
金を払って習い事をする場合、先生も生徒に遠慮がある。
しかし優しい先生も雇主となれば別であろう。
特に芸術家は気難しいに違いない。
わがままな晶子と気難しい画家では、すぐに喧嘩別れともなりかねないのではないか。
敬一は一株の不安を抱きながら、晶子の働く様子を見守ることにした。
つづく…
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晶子のパート勤めが始まった。
仕事先は近所に住む画家、高松省三の家だった。
高松省三とは敬一も何度か道で擦れ違ったことがある。
長髪を後ろに束ねて口髭を蓄えているが、背が低い上に腹が出ているので、とても芸術家には見えなかった。
また脂ぎった赤ら顏には、六十歳近いとは思えない精力的な雰囲気が漂っていた。
美術に疎い敬一は知らなかったが、晶子に聞いた話では、個展を中心に活躍している有名な洋画家らしい。
その言葉通り、敬一が目にした高松の家は、周囲の建売りの家とは明らかに違っていた。
住宅地から少し離れた広い敷地に、アトリエと住宅を兼ねた立派な洋館が、深い竹林に囲まれてひっそりと建っていた。
いくら便の悪い郊外とはいえ、相当な資産がなければあれだけの住宅は買えないだろうと敬一は羨んだ。
高松はその邸宅で、近所の主婦や子供を集めて絵を教えていた。
晶子のその教室の生徒の一人である。
晶子の話では、金儲けのために教室を開いているのではなく、孤独な作業の多い画家の気晴らしだという。
若い頃連れ合いを亡くし、後添いを貰わなかった寂しさの慰めでもあるらしい。
晶子は仕事の内容をこう語っていた。
「高松先生にあなたのリストラを話したら、助手をしてくれないかって誘われたのよ」
「画家の助手って?」
「高松先生は一人暮らしでしょ。今までは他人に任せられなくて、ご自分でいろいろやってらっしゃたそうなんだけど、歳を取るにつれて、炊事とか洗濯が辛くなってきたんですって。だから身の回りの世話をしてくれる人を探されていたの」
「住み込みか?」
「まさか。午前中と夕方だけのパートよ。これなら翔太にも寂しい思いをさせないでしょう?」
敬一は頷いた。
画家の助手と言われて驚いたが、実際は家政婦のようなものだろう。
近所での仕事なら自由がきくし、晶子にも勤まりそうだと思った。
「いいんじゃないかな」
「いいも悪いもないでしょう?あなたがしっかりしないから、私が働かなくてはならないのよ。本当に無責任な人ね」
晶子のキツイ言葉遣いが、再び敬一を不安にした。
今まで美貌を生かしたコンパニオンのアルバイトしか経験のない晶子が、地道なパートを続けることができるのだろうか。
晶子は敬一が口にしたそんな心配を、「先生は優しいから大丈夫」と意にも介さなかった。
金を払って習い事をする場合、先生も生徒に遠慮がある。
しかし優しい先生も雇主となれば別であろう。
特に芸術家は気難しいに違いない。
わがままな晶子と気難しい画家では、すぐに喧嘩別れともなりかねないのではないか。
敬一は一株の不安を抱きながら、晶子の働く様子を見守ることにした。
つづく…
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