『再びの夏』 第十四章
『再びの夏』(十四)
FC2 R18官能小説
(十四)
夜の京都祇園。
賑わう表通りを折りて一つ小路に入ると、美しく着飾った舞妓とすれ違いそうな、町屋の風情がまだ残っている。
だが昔と比べると、スーツに身を固めた接待のサラリーマンは減り、女性客や若者向けの店が増えているとドライバーは言う。
由紀子は、郁夫が設えた黒塗りの社用車に乗り、変わりつつある京都の町並みを窓から眺めていた。
(こんな車じゃなくて、歩いたほうがよっぽど旅らしいのに)
心の中でそう呟く由紀子だが、大物ぶってシートにふんぞり返る郁夫の手前、黙って従うしかなかった。
やがて車は、敷居の高そうな料亭の前で停まった。
「有難う。支社長に宜しく伝えてくれ」
郁夫はドライバーへ鷹揚に手を上げると、さも偉そうに颯爽と門の中へと消えて行った。
由紀子はうんざりした。
夫婦二人で旅行しているのに、何も会社の車を使う必要もないだろう。
(哀れな人…)
妻にまで虚勢を張る郁夫の背中を見て、由紀子は軽蔑に近い感情を抱いた。
それはまるで、中身が虚ろな透明人間が。会社という鎧で身を守っているようだった。
庭が見える和室で、由紀子は郁夫と向かい合って座った。
華やかな京懐石。
先附、八寸、向附、椀物と料理は続く。
だが料理を味わうどころか、由紀子は郁夫の自慢話とうんちくで満腹になった。
「出張して全国のうまいものを食べ歩いたけど、京懐石ほど繊細な料理はないね」
「接待旅行で祇園は良く来たよ。目を瞑っても歩けるぐらいだ」
「昔は祇園で遊んだなあ。舞妓を呼んで大騒ぎをしたこともある」
「営業っていうのは、金が使えて一人前なんだ。今の若い連中は頭でっかちばかりで、接待の心得一つ知りもしない」
由紀子は耳を覆いたかった。
何故会社の話しかできないのだろう。
苛立ちが募り、気分転換にトイレへ行こうとした時、
「お前に話しておきたいことがある」と、郁夫がぐっと身を前に乗り出した。
「何ですか?改まって」
「実は、会社の早期退社に応じようと思っているんだ」
「そ、早期退社…?」
「会社はまだ俺を必要としているが、後進に道を譲ることも大切だと思う。それに老後の生活を考えると、人より早めに第一歩を踏み出しておきたい」
「老後の生活…」
郁夫はどうだと言わんばかりに、由紀子を見つめた。
もっともらしい郁夫の言葉だか、由紀子は直感的にその嘘を見破った。
三度の食事より仕事好きな郁夫が、老後の生活のために、自分から早期退社を志願するとは思えない。
先ほど若い社員への不満を口にしたのを考えても、リストラとまでいかないが、会社から肩を叩かれるようなことがあったのだろう。
つづく…
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夜の京都祇園。
賑わう表通りを折りて一つ小路に入ると、美しく着飾った舞妓とすれ違いそうな、町屋の風情がまだ残っている。
だが昔と比べると、スーツに身を固めた接待のサラリーマンは減り、女性客や若者向けの店が増えているとドライバーは言う。
由紀子は、郁夫が設えた黒塗りの社用車に乗り、変わりつつある京都の町並みを窓から眺めていた。
(こんな車じゃなくて、歩いたほうがよっぽど旅らしいのに)
心の中でそう呟く由紀子だが、大物ぶってシートにふんぞり返る郁夫の手前、黙って従うしかなかった。
やがて車は、敷居の高そうな料亭の前で停まった。
「有難う。支社長に宜しく伝えてくれ」
郁夫はドライバーへ鷹揚に手を上げると、さも偉そうに颯爽と門の中へと消えて行った。
由紀子はうんざりした。
夫婦二人で旅行しているのに、何も会社の車を使う必要もないだろう。
(哀れな人…)
妻にまで虚勢を張る郁夫の背中を見て、由紀子は軽蔑に近い感情を抱いた。
それはまるで、中身が虚ろな透明人間が。会社という鎧で身を守っているようだった。
庭が見える和室で、由紀子は郁夫と向かい合って座った。
華やかな京懐石。
先附、八寸、向附、椀物と料理は続く。
だが料理を味わうどころか、由紀子は郁夫の自慢話とうんちくで満腹になった。
「出張して全国のうまいものを食べ歩いたけど、京懐石ほど繊細な料理はないね」
「接待旅行で祇園は良く来たよ。目を瞑っても歩けるぐらいだ」
「昔は祇園で遊んだなあ。舞妓を呼んで大騒ぎをしたこともある」
「営業っていうのは、金が使えて一人前なんだ。今の若い連中は頭でっかちばかりで、接待の心得一つ知りもしない」
由紀子は耳を覆いたかった。
何故会社の話しかできないのだろう。
苛立ちが募り、気分転換にトイレへ行こうとした時、
「お前に話しておきたいことがある」と、郁夫がぐっと身を前に乗り出した。
「何ですか?改まって」
「実は、会社の早期退社に応じようと思っているんだ」
「そ、早期退社…?」
「会社はまだ俺を必要としているが、後進に道を譲ることも大切だと思う。それに老後の生活を考えると、人より早めに第一歩を踏み出しておきたい」
「老後の生活…」
郁夫はどうだと言わんばかりに、由紀子を見つめた。
もっともらしい郁夫の言葉だか、由紀子は直感的にその嘘を見破った。
三度の食事より仕事好きな郁夫が、老後の生活のために、自分から早期退社を志願するとは思えない。
先ほど若い社員への不満を口にしたのを考えても、リストラとまでいかないが、会社から肩を叩かれるようなことがあったのだろう。
つづく…
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