『プリザーブドフラワー』 第一章
『プリザーブドフラワー』
1.
古めかしい大学病院は、窓から差し込む西日で茜色に染められていた。
消毒薬の匂いが立ち込める病棟には、晩夏だと言うのに、どこかひんやりと冷たい空気が澱んでいる。
平田武夫は、真っ直ぐに続く廊下を、コツコツと靴音を響かせながら歩いていた。
「平田部長。駒木葉子さんの病室は、突き当たりの205号室です」
隣を歩く仙台支社の山田経理課長が、平田の顔色を窺うように小声で告げた。
「わかった。悪いが君はさっきの待合室で待っていてくれないか」
「心得ております。本日部長が訪れられたことは一切他言致しません。ではお気兼ねなくお見舞い下さい」
山田は訳知り顔で頷くと、下僕のように身を屈めたまま背後へ消えて行った。
平田は振り向きもせず、山田の卑屈な立ち振る舞いに舌打ちした。
平田武夫は現在五十五歳、大手食品会社の東京本社で営業部長を務めている。
次期役員候補と目されている平田は、分刻みの過密スケジュールをこなす激務を負っていた。
その多忙な営業部長が、支社の経理課に勤務する一人の女性を、わざわざ遠く仙台まで見舞いに来たのだ。
いかに重病であるにせよ、ただならぬ事情を邪推するのは無理からぬことかもしれない。
山田の顔には、今を時めく平田の秘密を知った優越感と、それを守ろうとするサラリーマンらしい忠誠心が見て取れた。
つづく…