2011年、年初にあたり
もう50回近く正月を迎えていると、あまり発心祈念することもなくなってしまいます。
しかし折角の年初ですから、何か心に期することを書かなければならないといけませんね。
昨日、今日と箱根駅伝を観ていました。
結局W大が優勝しましたが、私が書こうとしているのは駅伝コースの途中にある藤沢の遊行寺についてです。
テレビでも時宗(時衆)の総本山だと解説していましたが、決して開祖の一遍上人が建てたものではなく、後世の弟子が一遍の思いもわからず建てたのでしょう。
一遍は自ら、ただ踊り、ただ念仏を唱え、仏に身を委ねることを愚衆に実践して死んでいったのです。
生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり俗世を捨てて、仏の御心にすがって、安らかに路傍で死んだのでしょう。
きっと野垂れ死にした漂泊の俳人、井上井月もそうだったのかもしれません。
人間は何のために生きているのでしょうね?
皆さん、自分の手本となる生き方はすでに見つけていらっしゃるでしょうか。
私は迷っています。
独り野垂れ死にするのが正しい生き方だとは思わない。
でも織田信長は48歳で死んでいるわけで、ならば哲学など井の中の蛙を慰める学問になってしまいます。
結局、何もないのです。
敢えて言えば、人はやりたいことをして死ねばいいわけです。
褒められようが、貶されようが、自分の生き様に評価を与えられるのは自分だけなのです。
すると再び人生に迷いが生じます。
自分の価値観が曖昧だからです。
確かに一遍や信長は天才でしょう。
だが誰もが天才ではない。
人から良く評価されることで、大概の人間は生きているのですから・・・
恥ずかしい。
信長が死んだ年になっても、私は悶々として生きている。
周囲の人は私を我が儘だと言います。
勝手に出版社の仕事を断ったり、気に入らないとブログを止めたり・・
でもまだまだだと思います。
書きたいものを書く・・
そんな単純なことにすら、私はまだ躊躇しているのです。
世間の評判を気にしているのです。
ですから今年は、自分が本当に書こうと思っているものを仕上げたいと思っています。
ひとつは今書いている中編の官能小説、もう一つは十年以上温めている小説を・・・
紅殻格子
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